2009年7月 5日 (日)

主は生きておられる

 わしがその巣のひなを呼び起こし、
 その子の上に舞いかけり、
 その羽をひろげて彼らをのせ、
 そのつぱさの上にこれを負うように、
 主はただひとりで彼を導かれて、
 ほかの神々はあずからなかった。
          (申命記32:11~12)

  イスラエルの民は、主に背いたため、荒野を40年間放浪しました。
 しかし、神は愛です。不毛の荒野に日々の食物として、朝ごとにマナをふらせ、時にはうずらを飛来させて肉を食べさせ、岩から水を湧き出させて、人々を養いました。
 この終末の時代に、神はキリストをこの世におくり、罪の奴隷となっている私たちを、キリストの十字架と復活によって救う恵みの道を開いて下さいました。キリストを信じる時に罪が赦され、永遠の命が与えられます。私たちがキリストに従って行く時に衣食住すべてのものむ満たして下さるという約束が与えられていまヤ。(マタイ6:33参照)
 今週も主に信頼して霊が恵まれ、生活全9が祝福され、健康が守られて行くように、祈って前進いたしましょう。

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2009年6月28日 (日)

主は生きておられる


 あなたはわたしを陰府(よみ)に捨ておかれず、あなたの聖者に墓を見させられないからである。 (詩篇16 : 10)

 秦の始皇帝、エジプトのパロ王は永遠のいのちを求めました。始皇帝は死に、その墓場には兵馬俑(へいばよう)と呼ばれる兵隊の像が残されているのみです。パロ王は巨大なピラミッドを建造し、自分をミイラにして葬らせましたが、ピラミッドの多くは盗掘され、ミイラも失われています。
 キリストは人の罪の身代わりとなって、十字架で死に、墓に葬られましたが、三日後に復活され墓は無用になりました。始皇帝もパロ王も遺跡を残しましたが、自分たちは滅んで行きました。キリストはなんの遺跡も残していません。それは、キリストが生きておられ、キリストは私たちの心の中に住んでおられるので、遺跡はいらないのです。
 今週も生きておられる主に信頼し、信仰の道を歩み続けましよう。

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2009年6月21日 (日)

神の愛

 あなたはわが目に尊く、重んぜられるもの、
 わたしはあなたを愛するがゆえに、
 あなたの代りに人を与え、
 あなたの命の代りに民を与える。
           (イザヤ書43:4)

 (わたしの目にあなたは価高く、貴く
 わたしはあなたを愛す一新共同訳)

 (わたしの目には、あなたは高価で尊い。
 わたしはあなたを愛している。一新改訳)


 創造主である神様は、人間にご自分のいのちを吹き入れ、生きる者にされました。人間は神様の愛を受けて創造され、ことばを与えられ、考える力をもち、神様と交わりをする者として生きるようにされています。ところが、人は神様に背き、罪人となり、神様との交わりを断たれ、その末路は永遠のほろびです。
 しかし、神様は愛です。独り子イエス・キリストの十字架と復活によって、人が神に立ち返る救いの道を開いて下さいました。誰でも罪を悔改めてキリストの十字架を信じ「イエス・キリストは主である」と告白すれば、神の子になり、永遠の救いを得ることができます。
 神の愛の救いに感謝しましょう。

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2009年6月14日 (日)

主をほめたたえよ

地の王たち、すべての民、
君たち、地のすべてのつかさよ、
若い男子、若い女子、老いた人と幼い者よ、
彼らをして主のみ名をぼめたたえさせよ。
そのみ名は高く、たぐいなく、
その栄光は地と天の上にあるからである。
          (詩篇148:11~13)

 私たちは主をほめたたえる恵みを与えられています。集会で私たちは心をひとつにし、声をそろえて主をほめたたえます。身分、年齢、男女に関係なく、私たちを愛し、守り支えて下さる主をほめたたえる喜びを与えられていることを感謝しましょう。キリストを信じ、新生した者は主をほめたたえます。さんびは天国に行っても続けられて行きます。なぜなら、主は永遠であり、私たちは永遠に主をさんびする喜びを与えられているからです。

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2009年6月 8日 (月)

神のみことばに従え


きょう、わたしがあなたに命じるこれらの言葉をあなたの心に留め、努めてこれをあなたの子らに教え、あなたが家に座している時も、道を歩く時も、寝る時も、起きる時も、これについて語らなければならない。 (申命記6:6~7)

 世の中には法律をはじめとしていろいろな規則があります。規則を守ることによって社会生活の秩序が保たれます。
 クリスチャンは神の国の一員となり、聖書のことばに従って生きる者になっています。
 天地を創造され、独り子イエス・キリストの十字架によって私たちに救いを与えて下さった神さまのみこころは、聖書を通してあますところなく伝えられています。聖書のことばを最優先にして、私たちはクリスチャン生活をします。例えば、この世の神々を拝めという法律ができたとしても、私たちは神さま以外のものを拝んではならないという神のことばに従い、偶像礼拝をしません。
 今週も日々聖書を読み、祈り、神さまに従う日々を前進しましょう。

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2009年5月31日 (日)

今日はペンテコステです


 今日はペンテコステ(五句節)です。使徒2章によれば、様々な国からきた人々が集まる中で、聖霊に満たされたクリスチャンたちが、それぞれの国の言葉で神の恵みを語り伝道がなされました。極めつけにペテロが説教をし、その日3,000人の人が一挙にクリスチャンになったとあります。初めの教会の誕生です。
 そのペンテコステの炎は、この極東の地日本にも及び、私たちもキリストを信じることができました。さあ、この聖霊の炎を、次の人に渡さなければなりません。私たちの愛する家族や友人に渡さなければなりません。
 私たちはキリストを伝えたいと願っています。家族に信じてほしい、友人に信じてほしい、と願っています。そのためには、私たちがキリストヘの愛を深めることです。ますます深めることです。それによってあふれ出る私たちのキリストヘの愛は、私たちの家族を、友人をキリストに惹き付けるでしょう。
 キリストを愛しましょう。キリストを愛しその愛をますます深め、キリストの証人となって参りましょう。

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2009年5月24日 (日)

主を喜ぶことはあなたがたの力です

 主を喜ぶことはあなたがたの力です
               (ネヘミヤ8:10)

 試練はそれ自体では辛く悲しいものです。ところが神様の目を通してみると、父が愛する子を懲らすように、良い目的で与えられているのだと気づきます。試練は、実は後の日に平安な義の実を結ばせるための良きものなのです。
 私がどれだけ主を愛し、主の目を通して物事を見るかどうかで、人生は全く変わってくることを実感しています。
 私白身、同じ人、同じ物事を、自分だけのちっぽけな視点で見るとき、不平不満や、批判となってしまっていました。ところが主を見上げるとき、主を知れば知るほど、主を愛すれば愛するほど、同じ物事、同じ人々が、恵みと感謝に変わっていったのです。
 主を喜ぶことは私たちの力です。主を愛し、主の目で一切を見るとき、私たちの人生は灰色から、バラ色へと変わっていくのです。
 主を愛しましょう。主をますます愛しましょう。

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2009年5月17日 (日)

最も大切な教え


 あなた自身のようにあなたの隣人を愛さな
 ければならない。わたしは主である。
          (レビ記19:18)

 ヤコブは「うえている人に『平安あれ、食べなさい』と言うだけで、必要なパンを与えなければ、なんの役にも立たない」と言っています。
 神は愛です。罪に苦しみ、死の恐れをもっている私たちを救うために、独り子イエス・キリストを十字架にかけて、罪の身代わりとして下さいました。神は言葉や口先だけの愛ではなく、行いと真実をもって私たちに愛を示されました。
 この愛をうけて、私たちも自分の隣り人を心から愛する者となりましょう。

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2009年5月10日 (日)

主に頼る信仰

 もし、主が良しとされるならば、わたしたちをその地に導いて行って、それをわたしたちにくださるでしょう。それは乳と蜜の流れている地です。ただ、主にそむいてはなりません。またその地の民を恐れてはなりません。彼らはわたしたちの食い物にすぎません。彼らを守る者は取り除かれます。主がわたしたちと共におられますから、彼らを恐れてはなりません。 (民数記14:8~9)

 人を恐れるとわなにおち入ります。主に信頼するならば常に平安です(箴言29:25)。12人の偵察隊の中、10人はカナン人を見て恐れましたが、ヨシュアとカレブは「主を見上げて、前進しましょう」と信仰に立って人々に訴えました。
 物事を決定する時、あれかこれか迷う時、静まって祈りましょう。聖霊が主に頼る信仰を与え、心に平安が満ちあふれましょう。主を見上げて、祈って前進しましょう。

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2009年5月 3日 (日)

主の祝福

 願わくは主があなたを祝福し、
 あなたを守られるように。
 願わくは主がみ顔をもってあなたを照らし、
 あなたを恵まれるように。
 願わくは主がみ顔をあなたに向け、
 あなたに平安を賜わるように。
          (民数記6:24~26)

 主はイスラエルの人々を祝福しています。私たちはキリストの救いを受け、主の祝福を受けつぐ霊的イスラエルとなり、教会に属していることを感謝します。
 今週も主のみ顔の光を受けで、信仰の道を進み、平安の日々を前進しましょう。私たちのまわりにいる人々に神の祝福があるように祈って行きましょう。

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