祈りを聞かれる神

もしわたしが心に不義をいだいていたならば
主はお聞きにならないであろう。
しかし、まことに神はお聞きになり、
わが祈りの声にみこころをとめられた。
        (詩篇66:18~19)

 神は私たちの必要を知っています。ではなぜ祈るのでしょうか。その理由は祈ろうという思いをもった時に、心が光なる神にむかい、世につく雑念がとりさられ、神の恵みを受ける心の備えがなされるからです。詩人は「もしわたしが心に不義をいだいていたならば、主はお聞きにならない」と言っています。心を神に向ける時に悔改めが与えられ、神の恵みを受ける心の備えができます。
 すべての必要を満たして下さる神の御心を求めて、主イエス・キリストの御名によって祈りましょう。

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神の言葉は真実である

 このように、わが口から出る言葉も、
 むなしくわたしに帰らない。
 わたしの喜ぶところのことをなし、
 わたしが命じ送った事を果たす。
         (イザヤ書55:11)

 「キリストを信じなさい。あなたは救われる。家族も救われる」という聖書の言葉を信じてIさんは救われました。最初は家族六人のうち、自分だけがクリスチャンでしたが十数年後に娘が救われ、息子のひとりが救われました。さらに40数年後に主人が救われ、あと二人のこどもの救いを信じてまっています。
 主の言葉に力があり、いのちがあり、主の言われた通りになって行きます。
 今週も聖書をしっかり読んで、主に信頼して、信仰の道を歩みましょう。

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主をほめうたおう

 新しき歌を主にむかってうたえ。
 主はくすしきみわざをなされたからである。
 その右の手と聖なる腕とは、
 おのれのために勝利を得られた。
           (詩篇98:1~2)

 「聖書の中に『喜び』が800回ほど出てきます。そこで私は日に三度は『喜べ!』と叫んでいます」と中野雄一郎師がメッセージの中で語って下さいました。また、「聖書は『すべての事について感謝しなさい』とあるので、私は何をするにも『感謝、感謝』と告白しています」とも話して下さいました。
 私たちはキリストによって救われています。新しくなった心で主をほめうたい、救われたことを喜び、すべての事に感謝を表して、今週も聖霊によって祈りの中に日々をすごしてまいりましょう。

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主を愛し主に信頼する

 わたしは主を愛する。
 主はわが声と、わが願いとを聞かれたからである。
 主はわたしに耳を傾けられたので、
 わたしは生きるかぎり主を呼ぴまつるであろう。
 死の綱(つな)がわたしを取り巻き、
 陰府(よみ)の苦しみがわたしを捕らえた。
 わたしは悩みと悲しみにあった。
 その時わたしは主のみ名を呼んだ。
 「主よ、どうぞわたしをお救いください」と。
        (詩篇116 : 1 ~4)

 ある牧師がガンの宣告を受け、大きなショックを受けました。しかし、祈りのうちに「自分の人生を力いっぱい最大限に生きよう。私はやがて主にお会いするのだから」という確信と平安と希望を新たにすることができました。そして仕事をし、まわりの者を励まし、主に従う道を歩み続けました。
 主のみ名を呼びましよう。主は私たちの祈りと願いに最善の答えを下さいます。
 主に祈りましよう。

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神こそわが心の力


 わが身とわが心とは衰える。
 しかし神はとこしえにわが心の力、
 わが嗣業である。
         (詩篇73:26)

 Sさんは若い頃キリストを信じ、教会のすべての集会に出席し、恵みの日々をすごしていました。ところがふとした人間関係のもつれで教会を離れてしまいました。教会を離れても自分は信仰があると強がっていました。ある日Sさんの体に異常が発見され、ガンの宣告を受けました。その時に「わが身はおとろえる」と同時に、キリストから離れていたので心がおとろえていて祈れないことに気づきました。そこへ伝道師が訪問し、キリストの平安かあるように、そして健康のために祈ってくれました。Sさんはキリストにすがる信仰を取り戻し手術をうけ、その後20年の日々を感謝のうちにすごし天に召されて行きました。
 キリストに固く結びつき、教会につながり、信仰の道を歩みましょう。

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愛を忘れるな

 あなた自身のようにあなたの隣人を愛さなけれぱならない。わたしは主である。(レビ記 19:18)


 親が子を殺し、子が親を殺すという愛のない時代に私たちは生きています。キリストは「人々の愛が冷える時、その時に世の終わりがやってくる」と言われました。ペテロは「万物の終わりが近づいている」という警告を告げ「努めて祈れ、互いの愛を熱く保ちなさい」との勧めを記しています(Iペテロ4:7~11)。
  愛を保つために「貧しい者、弱い者に配慮せよ。悪口を言いふらすな。人を憎むな」とレビ記は教えています。そして、「自分のように隣人を愛せよ」と命じています。キリストは愛なき人の罪の身代わりとなって、十字架で死んで下さいました。キリストを信じると心に愛が注がれ、人のために祈り、愛し、仕える力が与えられます。
 キリストの愛を求めて祈り、愛を実践しましょう。

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二つの道

わたしは命と死および祝福とのろいをあなたの前に置いた。
あなたは命を選ばなければならない。
そうすればあなたとあなたの子孫は生きながらえることができるであろう。
                    (申命記30:19)

 四月、年度かわりの季節、志望する学校を選び、入社したい会社を選び、人はそれぞれの進路を定めます。人生は、いつでもあれかこれかを選びとって行くことの連続です。
 聖書は、人生には命と死の道があることを告げています。キリストを信じ、罪を赦され、永遠の命を与えられて、日々希望をもって生きる人生があります。キリストを知らず、心の罪Iに悩みながら、何のために生きて、最終的にどこへ向かって行くのか分からずに滅びの人生を歩む道があります。
 きょう、イエス・キリストを信じて命の道、祝福の道を歩みましょう。

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常に主を前に置き、喜びに満たされよう

 「あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである」 (マタイ25:40)

 私事ながら、先週、学位授与のため、フィリピンヘ行ってまいりました。フィリピンでは、町にストリート・チュルドレンや、物乞いの人たちがいます。何人かの人に、少ないながらお金を差し上げました。幸いなことに、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心から喜んで差し上げることができました。聖書の中で、キリストが、最も小さい者のひとりにしたのは、すなわちわたしにしたのだ、とあり、その方々にさせていただくことは、主にさせていただくことだ、と信じているからです。
 行住坐臥、常に主を前に置き、喜びに満たざれた信仰生活をしてまいりましょう。
(荻野倫夫伝道師)

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イースターおめでとうございます

 「わたしはよみがえりであり、命である。
 わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる」
    (キリストのことば ヨハネ11:25)

 キリストは生きているまことの救主です。ある人がキリストは生きていないと思っていたが、クリスチャンの友に「イエスさまと呼んでごらんなさい」と言われた。ものはためしだと思って暗い夜空にむかって「イエスさま」と呼んでみた。すると、何かあたたかいものにつつまれ心に喜びがあふれた。翌日また呼んでみた。同じ気持ちになった。この人はキリストの十字架と復活を信じクリスチャンになった。
 キリストは生きておられます。あなたの願い、気持ち、苦しみ、病気などをキリストに向けて祈って下さい。キリストはあなたの願い、求めに答えて下さいます。

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受難週に入ります

シオンの娘よ、大いに喜べ、エルサレムの娘よ、呼ばわれ。見よ、あなたの王はあなたの所に来る。彼は義なる者であって勝利を得、柔和であって、ろばに乗る。すなわち、ろばの子である子馬に乗る。
(ゼカリヤ9:9)

 今週はキリストの地上生涯の最後の週です。マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四福音書とも、全体の約三分の一をキリストの地上における最後の一週間について記し、十字架と復活について述べています。今週は下記の聖書箇所を読みつつ、キリストの十字架をしのび、来週のイースターに向かって備えて行きましょう。

 日 エルサレムに入る ルカ19:28~44
 月 宮きよめ マルコ11:15~18
 火 世の終わりの説教 マタイ24章
 水 一日休む
 木 過越しの食事(主の晩餐)
   ゲッセマネの祈り ルカ22:7~54
 金 主の受難日    ルカ23章
 土 墓の中 金曜日夕~日曜日朝3日間
 日 主の復活の日   ルカ24章

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